七夕の幻

いいモノはいい
抜いてようが抜いてなかろうが、いいモノはいい
彼女達が歌っている事、踊っている事に変わりはない
七夕革命がもたらしたもの、それは「こだわり」の一つの方向性でしかない
可愛いを、凛々しいを、カッコいいを、美しいを、気高いを、儚いを
ありとあらゆる彼女達の魅力をどう「より」引き出すか、という本質はあの日以降も一つも変わっちゃいない



 (゚Д゚) エロいは?



それも!
という事で井上さんがふんいきを変えてくれたのでぐにゃーっといきとうございます
カズマさん、普段から大作感だの高級感だの技術だのセンスだの演出がどーだのばっか書いてますが、ガチMAD見るときって彼女らの顔しか見てません
視線の焦点は常に顔にビタっと固定されています
だからわかまらPがお顔にエフェクトかぶせると絶対文句言います
そういう話じゃない
皆様ご存知の通り、彼女達のステージにおける表情の幅は結構狭いです
憂い顔といえば「9:02PM」のあのお顔、にぱーっとした笑顔といえば「神様のバースデー」のあのお顔、という具合に、ゆーてしまえば全て素材としては同じモノになってしまいがち

やっぱ何か違うのですね、ガチMADそれぞれにおいて
楽しい楽曲での笑顔ならより楽しそうに見え、怖い楽曲での笑顔なら逆に怖さが増したりする
エフェクトばりばり演出なら凛々しさは増し、んー何か書きたかった事と違うなあ



 (゚Д゚) オイ



抜かないと駄目か、自作ステージじゃないと駄目な時代なのか、と言うと、僕は「そりゃNoだろJK」と思ってしまう
ヒットするかどうか?という面から言うなら、「そうかも」と思う
そこらへんは残酷に出来てる
でも、と思う
上手く言えないんだけど、そう思う
多分Pの人も視聴者の人も、それぞれに「でも、」を抱えてると思う
それは決して「愛の世界なんだから評価とかどうでもいいだろ」と声高に主張してしまう原理主義的な1か0かの思想ではなくて、もっと複雑な「でも、」だ
そう考えた方が、そう言ってしまいたくなる人の気持ちは分かる。痛いほど分かる。本当に
うーん、また何が書きたかったのか分からなくなってきた



 (゚Д゚) よし、諦めようぜ!



まあ待て
結局のところ、その「でも、」とは個人個人でお付き合いしていくしかない
突然霧が晴れる人もいるだろうし、ずーっと五里霧中な人もいると思う
苦しいかもだし、めんどくさいかもだし、なんだかなあかもしんない
でも、「でも、」と思う
そう思っているうちは大丈夫、でもある
僕はそう思うのだ
以上、イミフですいませんでした